英国貴族、領地を野生に戻す—野生動物の復活と自然の大遷移
三木直子 訳
(原題:Wilding)
野牛、野生馬、野ブタを放したら、絶滅危惧種がつぎつぎに復活した。世界が注目する、地球再野生化の試み。
<訳者あとがき>
初めにこの本の翻訳について打診されたとき、『Wilding』という原題だけ聞いて、てっきり誰か植物学者が植物遷移について書いた本なのだろうと思った。だが読み始めてみると、あるイギリスの貴族がその広大な地所を野生に戻すという話である。主人公は、イギリス南東部、ウェスト・サセックスの一角に立つ瀟洒な城に暮らすバレル家の人々だ(厳密には準男爵家なので貴族ではないそうだが)。
英米共同で制作され、日本でも放映された人気テレビドラマ『ダウントン・アビー』をご存知の方も多いと思う。貴族とその地所の管理・維持というのはつまり一つの企業を経営するようなものだな、と私はあの番組を見て思ったのだったが、本書の舞台となるバレル家のクネップ・キャッスルはまさに、1910〜1920年代を舞台にした『ダウントン・アビー』の80年後を彷彿とさせる。ドラマには、所有する領地で農業や畜産業を営む小作人たちが登場し、地主であるクローリー家の人々が、時代の変化に合わせて経営を合理化し、多角化を図ろうと腐心するシーンがあった。そしてバレル家の人々もまた、「土地を売るという発想がない家風」を引き継ぐ由緒正しき家系ではあるが、農業の近代化とグローバル化によって、農業による地所の経営はもはや成り立たなくなり、経営破綻の危機に直面する。そんな彼らが運良く見出した生き残りの道が、地所を農地化前の自然の状態、野生生物の王国に復元する、という「再野生化(Rewilding)」プロジェクトだった。
農薬と大型の農業機械頼みの近代的な耕作をやめたとたん、それまで雑草一つ生えていない、整然と耕された畑だったところは、さまざまな草花に覆われ、低木が生い茂り、近隣の村人の顰蹙をかう「荒れ放題」の土地になっていく。と同時に、爆発的に虫が増え、野には野鳥があふれ、小型の野生生物が姿を現す。フンコロガシが、イリスコムラサキが、ナイチンゲールが、コキジバトが、ダイサギが戻ってくる。さらにはシカ、ウマ、ウシ、ブタなどの草食動物を放して自由にさせる。意外な場所で、思いもつかない生態を見せる野生の動物たちとともに、かつてこの地で見られたであろう自然の情景が蘇っていく—。本書には、クネップの地所で自然が自らを取り戻していくその過程が、行政との駆け引きや周囲の農家たちとの摩擦を含めて生き生きと描かれている。
もともと人間は自然の一部であり、地球上に登場してから長い間狩猟採集民だったわけだが、農耕を覚えると同時に、自分の都合の良いように自然に手を入れることを覚えたと言われる。ネイティブアメリカンやアボリジニの人々のように、自然と共存し、必要なものだけを自然から受け取ってそれ以上に奪おうとはしない人々もいたけれど、産業革命以降の工業化社会では、「自然」と「人間」が対立軸になってしまった。人々は自然を支配し、力づくでねじ伏せ、奪えるだけ奪おうとしてきた。その結果が環境汚染であり、生態系の破壊であり、年々加速する生物種の絶滅であり、資源の枯渇であり、地球温暖化である。
海の向こうでは、現在16歳のスウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリが2018年に一人で始めた「気候のための学校ストライキ」ムーブメントが、特に若者の間で大きな広がりを見せている。これからの何十年をこの地球上で生きていく若者たちにとって、地球温暖化に歯止めをかけることができるかどうかはまさに死活問題である。もう待ったはかけられない。
では私たちはいったいどうしたらいいのだろう。どうしたらこれ以上地球の環境を破壊せず、護っていけるのだろう。「再野生化」という概念は、その問いに対するひとつの答えを提示するものだ。
21世紀の始まりとほぼ時を同じくして始まったクネップの再野生化プロジェクトだが、これは初めから環境保全活動という使命を掲げていたわけではない。むしろ、農園もしくは農場生き残りのための苦肉の策として始まったという印象を受ける。だがこうした時代背景を背負い、プロジェクトは次第に環境保全活動家たちの関心を集め、今では世界的な注目の的になっている。再野生化というプロセスが、地球の環境を保護するばかりか、改善できる可能性が明らかになってきているためだ。
たとえば本文349ページには、再野生化のプロセスに期待できる窒素固定の効果が言及されており、「土壌中に含まれる炭素の量を、劣化した農地を復元・改善することによって年間わずか 0.4パーセント増やせば、一年に増加する大気中の二酸化炭素を吸収できる」とある。また、「世界中の劣化した草地50億ヘクタールをきちんとした生態系に復元できれば、大気中の余剰二酸化炭素を年間10ギガトン以上地上のカーボンシンクに戻せるという。そうすれば、ほんの数十年で、温室効果ガスの濃度を産業革命以前のレベルにまで下げられる」というジンバブエの環境保全活動家の言葉も紹介している。
再野生化の試みはクネップに限らず、ヨーロッパではすでに数か所が成果を上げているという。またアメリカのイエローストーン国立公園では、その地域で絶滅したオオカミをカナダから輸送して再導入することで、生物多様性を取り戻した。点在する自然保護区を「緑の回廊」でつないで、個々の自然保護区以上の大きな「メタ保護区」を作る試みも行われている。
クネップが事業として成功している様子を見て、再野生化に関心を示す土地所有者もいるらしい。それは素晴らしいことだが、プラスチックを減らすためにスーパーにはエコバッグを持参しましょう、という、誰にでもできるささやかな意識変革とは違って、野生化することで地球環境の改善に寄与できるほどの広大な土地を所有する個人はそんなにいるわけではない。雑草が生え放題の我が家の庭を、これからは「再野生化の途上にある」と言うことにしよう、という冗談はさておいて、本書を読めばおわかりの通り、再野生化は、土壌微生物相を含む複雑な動植物学的知見エコシステムの理解に基づいた、非常に綿密な計画に則って行わなければならず、多額の資金を必要とする。だから、再野生化には各国の行政レベルで取り組む必要がある。
さらに、土地を「野生化」するとは言っても、人間の文明が登場する前の状態に地球を戻せるはずがないことはわかりきっている。そもそも、人間が破壊した「自然」とは元来どういうものだったのか、私たちは、実はそれを知らないのだと著者は言い、これまで当然のこととして受け入れられてきた自然科学の理論にも疑問を投げかけている。野生動物の生態や習性についても然りで、人間が自分たちの都合を勝手に押し付けた結果を動物の本来の生態だと勘違いしているのではないか。そうやって、自然とはこうあるべきと考える自然「像」を追い求めるのではなく、人間の介入を最小限にし、特定の結果を期待せず、自然を自然の求めるままに、自らその本来の姿を取り戻させようとする試みが再野生化なのだ。著者はこう言っている。
ある終着地点を設定するのではなく自然のなすがままに生態系システムを作り直し、結果と同時にまたその機能する過程を評価することで、私たちと土地との関わり方をそっくり変えることができるかもしれない。テクノロジーが進化し、これまで以上に少ない土地から世界中の人が十分に食べられる以上の食料を得られるようになったことを祝う一方で、それはまた「男性的な」科学——すべての問題は新しいテクノロジーでこそ解決できるのであって、今までのやり方の古いテクノロジーに立ち返り自然に屈服するというのは後ろ向きな行為である、という考え方――が犯した失敗を認めるよう私たちに促す。
堅固な堤防を築くよりも、氾濫原を進んで氾濫させることで洪水を防ぐ。人間が生息域を押し付けるのではなく、動物や植物に生息域を選ばせる。再野生化が私たちに求めているのは、そうした発想の転換である。そして、一方的に人間が自然を「護ってあげる」のではなく、人間と自然がともに与え、受け取り合う、これまでとは違った形での共存への道筋を指し示しているように思う。
2015年に合意されたパリ協定で各国の温室効果ガスの排出の削減目標が掲げているように、世界中で再野生化の努力が本格的に行われたら、もしかしたら私たちは、失われかけている生物種のいくつかを絶滅から救い、崩壊へと向かってまっしぐらに突き進んでいるかのように見える地球の時計の針の進行を、ほんの少し遅らせることができるかもしれない。そんな希望を感じさせてくれる。
築地書館より 2019年 12月 26日発売。
こちらからご購入いただけます。