ミクロの森 - 1㎡の原生林が語る生命・進化・地球
三木直子訳
(原題: The Forest Unseen)
『コケの自然誌』に続き、幸運にも、ネイチャーライティングの秀作を訳す機会をいただいた。ちょうど本書の翻訳原稿があがったころ、2013年のピューリッツァー賞の発表があり、受賞こそ逃したものの、本書は「一般ノンフィクション」部門の最終選考に残った3作品の一つである。ニューヨーク・タイムズ紙やウォール・ストリート・ジャーナル紙をはじめ、メディアによる評価も高い。これほど高い評価を受けるのはなぜなのだろう。
1㎡という、ほんの畳半畳ほどの広さの原生林をつぶさに観察することを通して、森羅万象の不思議に思いを馳せる——そのこと自体を、初め私はそれほど目新しいことと感じなかった。でもそれはおそらく、私が日本人であるからなのだ、と思い至った。私たち日本人はそもそも、小さきものを愛でることが好きだ。盆栽も、箱庭も、苔玉も、縮小された自然であり、世界である。大きくて複雑なもののエッセンスを、小さなものに見出す、という行為が日本人は大好きなのだ。だから、この1㎡の土地に、それが存在する森全体が、そしてその森が存在する世界全体が存在している、と考えることに、(少なくとも私は)何の不思議も感じない。
また日本には、春夏秋冬という四つの季節だけでなく、1年を24の節気に分け、さらにそれを三つずつの「候」に分ける、「七十二候」と呼ばれる季節の呼び名がある。もともとは中国のものが日本に伝わり、江戸時代以降、日本の気候風土に合わせて改訂が加えられたという。七十二候の各名称は、そのころ、天候や自然界にどんなことが起きるかを短文で表わしたもの。たとえば太陽暦の3月25日から29日ごろは「桜始開(さくらはじめてひらく)」。5月5日から9日になれば「蛙始鳴(かえるはじめてなく)」。秋、10月18日から22日ごろまでは「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」。そして節気で言えば大寒の1月25日から29日は「水沢腹堅(みずさわあつくかたし)」といった具合だ。なんと美しい世界の捉え方だろう。七十二候の名称には俳句の季語になったものもある。季語が成立したのは平安時代だが、さらに古く、万葉集の時代から、日本の詩歌と季節は切っても切り離せないものだった。つまりそうやって日本人は、昔から季節に寄り添うようにして暮らしてきたのだ。
本書の舞台となるテネシー州の森も、冬は雪に閉ざされ、春は花々が咲き乱れ、夏はホタルやセミが飛び交い、秋には落ち葉が地面を覆う、四季折々の変化が豊かな土地であることが本書からわかる。著者はここで、1年間、まさに移ろう季節に寄り添うようにして、彼が「曼荼羅」と呼ぶ森の中の小宇宙を観察し、読者もまた、1年間の季節の移り変わりを追体験することになる。
この場所を曼荼羅と呼ぶこと、またタオイズムや禅に再三言及していることからは、著者が東洋思想の影響を受けていることが明らかだ。また彼の文章が非常に詩的で、文学的な隠喩をちりばめたものであることも、詩歌に季節を詠みこんできた日本人との共通点を思わせる。ネイチャーライティングというジャンルが成熟しているアメリカで本書を際立たせたのは、まさにこの東洋的な(そして私たちにとってはあまりにも自然なことに思える)視点だったのではないのだろうか。
四季の移ろいを書き記すだけならそれは歳時記であるが、本書が単なる「英語で書かれた歳時記」ではないのは、著者の観察を裏づける圧倒的な科学的知見による。「蛙始めて鳴く」と観察するだけではなくて、蛙は「なぜ」この頃に鳴きはじめるか、それを解き明かすのが本書なのだ。鳥の飛翔の秘密、ホタルが光るメカニズム、森の植物同士のコミュニケーション……。まるで、パソコンのスクリーンに映し出された森の写真の、一輪の花を(あるいは一匹の虫を)クリックしたら、それに関する膨大な情報を提供する別のページに飛んだかのように、私たちが普段ごく当たり前に目にしているものの裏に、じつはどれほどの奇跡が隠されているかを鮮やかに見せてくれる。楽しい驚きの連続である。だから本書の真の価値は、自然という大きなものを曼荼羅という小さなものに縮めて見せた、そのことにあるのではなく、小さな曼荼羅を通して読者に見せてくれる世界の深さ、広大さにあるのだと思う。
さらにその科学的知見や観察された事象の解釈は、現代の動植物学の先端を行く、ときに一般的な科学の常識を覆すものでもある。シカの減少を食い止めるために人間がとってきたさまざまな手段は、じつは自然な森のあり方に反する結果を招いたのではないか。菌根に関する最新の実験結果は、森の木にあっては「個体」という概念は幻想であることを示唆する——。自然において他と隔絶されたものは存在せず、あらゆるものが関係し合い、繋がり合っている、というのは、本書に繰り返し登場する主題だが、これは精神世界的な文脈で「ワンネス(oneness)」と呼ばれる概念に近い。
ニューヨーク・タイムズ紙はハスケルを「生物学者のように思考し、詩人のように書き、自然界に対する彼の偏見のない見方は、仮説主導型の科学者と言うよりもむしろ禅僧に近い」と評している。普段は動植物学にまったく無縁の読者、動植物に詳しい人、科学者、瞑想者、詩人——どんな人が、どんな異なった「前提」を持って本書を手に取っても、きっとそれぞれに刺激を与えられることと思う。
(訳者あとがきより)
築地書館より 2013年 7月 2日発売です。こちらからご購入いただけます。