錆と人間:ビール缶から戦艦まで
三木直子 訳
(原題:Rust: The Longest War)
<訳者あとがき>
築地書館の本は専門的なものが多い。私自身これまでも何冊か、かなり専門的な本を訳させていただいているし、既刊本のタイトル一覧を見ればそれは明らかだ。
専門的、ではあるが専門書というわけでもない。「オタク的」と言ってもいいかもしれない。そもそも、オタクと専門家の違いとは何なのだろう? 何かある一つのことについて、一般人の平均的な知識や理解を大きく上回る深い理解と豊富な知識を持っている人のことを専門家と呼ぶのだとすれば、オタクも立派な専門家である。違うのは、専門家が持っている知識は世の中の役に立つ(とされる)ことであるのに対し、「オタク」という言葉は、その知識の対象が、「知っていても知らなくても世の中の大半の人にとってはどうでもいいし、別に何の役にも立たない」ことを「不必要なまでに」詳しく知っている人、というニュアンスを含んでいるという点ではないだろうか。だから大学の教授はオタクではなくて専門家なのだ(ただしここでオタクとは何かについて論じるつもりはないし、私がここで「オタク」と呼ぶのはあくまでも私個人の勝手な認識である、と断っておく)。
どうしてこんなことを書いているかというと、本書を訳している間ずっと私の頭の中にこの「オタク」という言葉が浮かんで離れなかったからなのだ。「オタク」と訳されることの多い英単語にはgeek(ギーク)とnerd(ナード)というのがあって、この二つも微妙に違うし、またどちらも「オタク」とも若干違う気がする。やはりこの本には「オタクな」という言葉が一番ぴったりくる。
この本に書かれている内容が「どうでもいいこと」だと言っているのではない。この本がひときわ「オタク」な様相を呈しているのは、本書に登場する人物たちの「のめり込み」体質が顕著だからだ。たとえばペンタゴンで防食政策の要職に就いているダン・ダンマイアーは、仕事を離れればスタートレック・オタクなおじさんだし、世界最長の原油パイプラインであるトランス・アラスカ・パイプライン・システム(TAPS)の完全性マネージャー、バスカー・ネオギは、自宅に巨大な水槽を持ち、ハイテク技術を駆使して魚たちを管理している観賞魚飼育オタクである。アルミニウム缶製造者が集まる講習会で交わされる会話や交換される名刺の肩書きといい、防錆製品の通信販売店を営むジョン・カルモナが兼業で売っている商品の品揃えといい、見事なのめり込みぶりだ。そして著者は明らかに、こいつらオタクだなー、という目線でそれを面白がっている。だが、揶揄しているというよりも、そのことをあっぱれと思っている節がある。
著者のジョナサン・ウォルドマンは大学で科学ジャーナリズムを学び、アメリカ各地でさまざまな仕事をしながら新聞、雑誌、ウェブ、その他の媒体に記事を書いていたが、コロラド大学の環境ジャーナリズムセンターで奨学金を得て学んだことがきっかけとなって本書が生まれた、とプロフィールにはある。つまり著者自身は化学の専門家でも工学の専門家でもない。だが、彼のウェブサイトを見ると、彼がひげとヤギに並々ならぬ関心を寄せていることがわかり、オタク気質が垣間見える(特に彼のひげへの執着は本書でも随所に見て取れる)。だから本書を、一人のオタクが愛すべきオタク仲間たちに捧げるラブソングととれないこともない。オタクの気持ちがわかるジャーナリスト、というちょうどよい距離感があるのだ。
さて、本書に登場するそうしたオタクたちの共通の関心事が「錆」である。ファインアート・フォトグラファー、アリーシャ・イブ・スックは錆という被写体の美を取り憑かれたように追い求めるが、私にも、錆びた構造物の写真を撮るのが大好きなグラフィックアーティストの知り合いがいる。彼に言わせると、錆びた構造物というのは、もちろん自然のものではないし、かと言って人工物でもなく、その中間にある。人間が造った反自然的なものと、それを無に帰そうとする力──それはつまり酸化という自然現象なのだが──の両方がなければ存在しないものであって、そこに独特の美しさがあるのだという。だが錆を見て美しいと思う人は少数派だ。錆というのは普通、汚いものであり、そこにあってはいけないものだ。
美しいか美しくないかはさておき、錆を見たことがない人、何かが錆びたのを見て「イヤだな」と思ったことがない人はいないだろう。物が錆びる、という、ごく普通に日常生活の中で見かける現象が、実はどれほどの威力をもって私たちの生活を脅かすことがあるか、いや、実際に脅かしているか、そしてそれに対抗するために昔も今も人間がどれほど知恵を絞り、その「自然の脅威」に対抗しようとしているのかを、さまざまな立場の人間を通して教えてくれるのが本書である。原書のタイトル『RUST: The Longest War(錆:史上最長の戦い)』が示す通り、人間が「非」自然な人工建造物を造り続ける限り、それを「無」に帰そうとする酸化という自然の力との戦いが止むことは決してない。
だけど、「錆」とは「金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応を起こすことで生成される腐食物」のことだなんてわかっている人はどれくらいいるのだろう。高校で一番苦手な科目が化学で、高校卒業以降、化学のかの字にも縁がなかった私が本書を訳すことになったのは、私同様、「酸化現象」とか「カソード防食」とか言われても何のことかピンと来ない人が読んでもわかる本にしたいという出版社の意向があったからだ。
そもそも、人があるノンフィクションの本を選ぶとき、そこにはいったいどんな理由があるだろう。学んでいることのテキストブックや、何か具体的にやりたいことがあってそのやり方を学ぶための実用書。興味のある人の伝記や事件の記録。普段から関心を持っている分野の最新情報。いろいろあるだろうが、「錆」というタイトルがついたこの本を手に取ろうと思う理由とは? 誰もが見たことがあり──と言うか迷惑に思ったことのある、錆という「イヤなもの」についての本なんか読んだって面白いのだろうか?
それが面白いのである。この本は、化学的な知識が豊富な人が読めばもちろんだろうが、化学なんてまったく興味のない私が読んでも面白かった。そんなことを自分が知ることになろうとは、期待もしていなかったし予想もしていなかった驚愕の事実が、これでもかこれでもかと展開する。錆、というあまりにも身近な、一見些細な事象の裏にある広大かつ深遠な世界。読み終わって、私の生活に何か変化があったか? と言えば別にない。でも、私が目にする世界にはたしかに一つ、新しいファセットが加わった。これはもしかすると、あらゆる読書体験の中でも最も贅沢なことかもしれない。
そしてその読書体験が退屈でなく、愉快なものであるのは、やはりそこに、登場人物の「オタク」ぶりを意識している著者の、「こいつらオタクだ」というジャーナリスト的「メタ」な視線があるからなのだ。だから、化学なんて、工学なんてわからない、というそこのあなたも安心して、子どものような好奇心でこの本を読んでほしい。思わず人に披露したくなる、びっくりするような知識が詰まっていることはお約束する。
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築地書館より 2016年 9月 4日発売。