豆農家の大革命: アメリカ有機農業の奇跡
三木直子 訳
(原題:Lentil Underground)
<訳者あとがき>
本書の舞台であるモンタナ州はアメリカ北西部にあり、北はカナダと国境を接している。北部にはグレイシャー国立公園があり、南のワイオミング州との州境を越えればイエローストーン国立公園がある、豊かな自然に恵まれた美しいところだ。その農業地帯、かつてはネイティブアメリカンの人々がバッファローを追った平原を、車で走ったことがある。アメリカの農業のスケールの大きさは、時おり映像や写真で目にすることはあっても、実際にその只中を車で走るとまさに圧倒される。どこまでも続く一本道。アクセルから一度も足を離さないうちに、満タンだったガソリンが半分になる、それくらい、とにかく広大な農地。右を見ても左を見ても地平線まで小麦の穂波が続き、巨大な散水機がゆっくりと円を描きながら放水する、そのむこうに夕日が沈んでいく。
これほどの広大な土地を相手に人間が農業を営もうと思えば、その手法が産業化され、大型機械や農薬が導入され、徹底的に人間の管理下に置かれて自然の営みとはかけ離れたものになっていった理由もわからなくはない。その結果生産効率は上がった。だが、そこから生まれた問題も数多い。農地の疲弊、遺伝子組み換え作物の侵食、農家をがんじがらめにする経済的なしがらみ。人間の生活を豊かにするためのものであったはずの農業が、さまざまな意味で人間に負担を強いるようになっていったのだ。そして、そうした工業化された農業のあり方に反旗を翻した農家たちの「革命」を描くのが本書である。
革命の主人公であるデイブ・オイエンは、1970年代に大学で宗教と哲学を学び、ラコタ族の長老ブラック・エルクの言葉を集めた『ブラック・エルクは語る』を座右の書とする。彼にとっては農業は哲学の延長だ。彼の「盟友」たちもまた、一風変わった人物揃いである。農薬会社が出資する研究費をいわば「チョロマカシ」て極秘で緑肥の研究を続けた育種研究家。オーガニック農園を営むアメリカ上院議員。牛の群れをフェリーで渡そうとして船を沈没させた、といった逸話の数々を持つ名物農場主。州都ヘレナでデスクワークの仕事をしながら、自宅から400キロ離れた農場に週末ごとに通う夫婦。大学で音楽を勉強し、畑でヨガに精を出しオーガニックソープを使う青年。それぞれ個性たっぷりで、「農業」という言葉から連想するステレオタイプに当てはまらず、まるでオムニバス映画の登場人物を見るようでもある。
そして著者の経歴がこれまた変わっている。大学を出た後、若きカントリーシンガーとして全米をツアーしていた著者は、自分が歌う歌の中に描かれるアメリカの農村の、ロマンチックで牧歌的な風景が、現実の農家の生活とはかけ離れたものであることに気づき、その真実を伝えなければ、と思い立つのである。そして彼女は、カリフォルニア州立大学バークレー校で地理学の博士号を取得した後、自分が生まれ育ったモンタナ州で有機農業を営む農家たちの「革命」に、それを記録する者として加わることになる。現在は、世界屈指の農学部がある同校の、「多様性農業システムセンター」の研究員である。
レンズ豆をはじめとするマメ科植物を輪作の一部として栽培し、それを土壌に鋤き込んで土壌の肥沃度を増すことで、農薬を一切使わずに、悪天候にも耐えられる作物を育てる、というのが本書に描かれる「レンズ豆革命」の核心である。だが革命はそれだけに留まらず、やがて農場から流通機構へ、地域共同体のありかたへ、全国的な政策へ、と拡がっていく。
画一化された工業的農業の単一栽培から、多様性に富んだ作物を育てる有機農業へ、というこうした変化はもちろん、モンタナ州だけで起きていることではないし、世界各地に、そして日本にもその動きはある。けれどもそういう変化の種から生まれた一つの大きな流れを、変化を起こした当事者の立場から描いたという意味で本書は興味深く、かつ貴重であり、人口が増加の一途をたどる地球上でのこれからの農業の行方について一考を投じるきっかけとなる。
本書が広く読まれることを私が願う理由がもう一つある。
これまで私が訳させていただいた本は、それがたとえ自分で選んで提案したものでなくても、不思議と何かしら私の生活や環境に関係のあるものが多い。それがいわゆる縁というものなのだろうと思う。アメリカの有機農業が主題の本書は、農業とは全く縁のない環境で育った私には一見無関係に思える内容なのだが、オファーをいただいたとき、これはまさに私が次に訳すべき本だと思った。なぜならそのとき私はジョアンナ・メイシーとクリス・ジョンストンの共著『アクティブ・ホープ』という本を翻訳中で、その本の中で語られる社会変革のためのコミュニティの役割や、あらゆる事象はつながっているという仏教思想に根付いた世界観が、本書に登場するアメリカの有機栽培農家たちによって実に見事に体現されていると思ったからだ。
その個性豊かな農家の中でも特に印象的な一人に、ケーシー・ベイリーという若者がいる。あるとき著者が、大企業による産業化された農業に抵抗して学んだ一番大きな教訓は何か、と尋ねると、じっくり考えた末に彼は、「一人じゃできないってことだね」と答える。そしてこれは、彼以外の登場人物にも共通する認識だ。表層的な意味で人の助けを求める言葉ではない。自分の住む家を自分で建ててしまうような、自力で何でもやってのけられそうな強者の男たちが、心からの実感とともに語る真実がそこにあるのである。世界はつながりで成り立っている。何か一つを変えたければ、それを成立させている数々の要素も変わらなければならないし、何か一つが変われば、そこから次々と数限りない変化が起きていくのだ。
この先、私自身が畑を耕し、野菜を育てることはないかもしれない。でも本書に語られる「革命」は、農場で作物を育てる方法を変える、というだけのことではない。作物を育てる土壌そのものを慈しみ、環境にやさしい農業が成立するためには、それを支える消費者の理解と行動にも変革が必要である。そして私にもその一端を担い、レンズ豆革命に参加することはできるのだ。いや、生きるためには食べなければならない私たちの誰もが、自分が口にするものがどこからきて、どうやって育てられているのか、そのことに責任を持たなければならない時代がすでにやってきている。
しっかりとした個人主義に拠って立ちながら、自分が正しいと思うことを、大勢に逆らってでも貫く。頭でっかちな理想論ではなく、現実と向き合い、地に足を着けて、妥協点を見つけながら一歩々々着実に前進する、あくまでも謙虚なレンズ豆革命軍の戦士たちは、アメリカの一番良いところを体現する、魅力的な存在だ。一人ひとりの意識が変わり、そういう意識が独立しながらつながり合って社会全体を変えていく、その見事な手本がここにある。その意味で、農業関係者はもちろんのこと、誰にとっても一読の意味のある本であると思う。
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築地書館より 2016年 1月 27日発売。